検見川送信所保存の意義

「検見川送信所を知る会」は、検見川送信所の保存の意義について、以下の2つの大きな要素があると考えています。

建造物としての文化的価値
第1期竣工後の検見川送信所

検見川送信所を設計した逓信省技師・吉田鉄郎氏は、明治から大正にかけてレンガや大理石を多用した重厚かつ華美な設計とは一線を画し、シンプルで機能的ないわゆるモダニズムを追究しました。

彼のアイデンティティーを感じさせる設計は、その後の集大成として、戦前のわが国通信行政のシンボルでもあった東阪両郵便局(東京中央郵便局・大阪中央郵便局)の設計にも活かされています。

このように、わが国の通信行政史を局舎の観点から総括したときに、吉田鉄郎氏の功績を形として残し、後々まで語り継ぐことに大きな意義があると考えます。

電気通信施設としての文化的価値
空中に張り巡らされたアンテナ線

検見川送信所の開局からわずか5年後の1930年(昭和5年)、ロンドン軍縮会議の決議を受けて、国際交歓放送を行うプランが持ち上がりました。

当時の日本の通信技術は黎明期にありましたが、わずか2週間あまりの限られた時間の中でプロジェクトは進行し、米国・英国をして「はるか太平洋を越えて米州まで電波を飛ばす技術を日本は持ち合わせていない」という心配をよそに、日本で初めての無線を使った国際放送に成功しました。

当時の成功が、今日のテレビ放送中継や携帯電話、衛星通信の技術発展につながっており、日本の通信技術のルーツとして、検見川送信所の存在を後世まで残すことに大きな意義があると考えます。

 

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