賛同者の声

検見川送信所の保存・利活用を求める声が、多くの市民から寄せられています。

検見川送信所、局舎の保存を
<団体役員 AT(千葉県四街道市 60歳)(当時)>

日本の文化財保護は十分といえず、歴史が目の前で消えていくのは残念でなりません。千葉市にある旧東京無線局検見川送信所の局舎もその一つです。

送信所は大正15年、逓信省により外国との通信を主な目的に開局しました。昭和5年、日英米首脳のロンドン軍縮記念放送では、浜口首相による初の国際放送が発信され、検見川無線の名が世界に知られたそうです。技術革新が進んで送信所は昭和54年には閉局、多数の鉄塔が撤去されて局舎だけが残りました。

局舎は2階建てのモダンな建物で日本建築史に名を残す吉田鉄郎氏の設計と言われ、今でも補強すれば十分使える状況にあります。しかし、市の区画整理事業では学校建設用地として取り壊される予定です。

隣接した公園用地を使って区画整理事業計画の変更は可能ではないでしょうか。取り壊す費用は数千万円はかかるとのこと。その費用で美術館や博物館、文化ホールなどに改装して利用できれば、千葉市にとっても宝物になるでしょう。関係者の熟慮を望みます。

2003.05.19付「朝日新聞」の「声」より
ATさんの許可を取り、転載させていただきました。

※上記投稿がなされた2003年当時、検見川送信所は中学校用地として取り壊されることが既定事項となっていました。

ブロガーからの声

まさやんさん

大正・昭和を振り返ることが出来る遺産。残すことに弊害が無いのであれば残して欲しい、あわよくば有効に活用して欲しいと思います。

アンビンバンコさん

送信所と空き地を再開発し、学校にする計画のようですが、学校の敷地内にこの建物を残す設計とし、歴史や社会的な勉強に役立つ施設として残す案はどうでしょうか? 新校舎は送信所とコラボレーションするようなデザインにすれば、送信所だけが浮いてしまうということもないと思います。最近は公立の学校でも、おしゃれな建物が増えているので、不可能ではないと思います。

takaakさん

興味をもってもらえる人が少しでも増えたら、と思います!

しぇるぽさん

私もシンプルモダンな建物に惹かれますし、旧いものを破壊してしか新たなものを創造できないと思い込んでいる箱もの行政の在り方には大いに不満があります。

歴史的背景を知り、なんらかの形で後世に伝えていくべき必要があるのではないか? と思います。

掲示板に寄せられた声

「検見川送信所を知る会」掲示板に書き込まれたメッセージを、できるだけ原文のまま掲載しています。

「すぐ目の前に住んでいます」-ゆきさん<2008/7/6>

ゆきさん撮影の送信所遠景

初めて書き込みます。検見川送信所のすぐ目の前にアパートに住んでいる者です。5年ほど前にここに住み始めた時にはあの建物のことを全く知らず、なんだろうなあ?と思っていた程度でした。

でも今ではもう、この風景に欠かすことのできないものになりました。少し前にはここで映画かなにかのロケが行われていたようで、旗が立っています。写真は我が家の猫の額ほどの庭から撮ったものです。

このあたりでは住宅の建設が増えていますが、あの空間はそのままであってほしい、と思います。最初はちょっと怖いと思っていた建物ですが、歴史を知るにつれて、なにも撤去する必要はない、と思うようになりました。人や国の歴史が刻まれたものを壊すのは簡単だけど、創るのは難しい、ですよね。

私はこの家をオフィスにして、毎日、中国関連のニュースを発信しています(在宅で翻訳などの仕事をしています)。ここに住んだことはなんだか、運命だったのかなぁ、と思います。

「はじめまして」-津島宝秀さん<2008/9/25>

こんにちは。はじめて書き込みさせていただきます。

わたくしは数年前まで検見川送信所のごく近くに在住していた者です。

2000~2002年当時に千葉大学教育学部のアート関係の研究室でこの検見川送信所の美術的、文化的価値に注目した先生がおられ、この送信所空き地を使用してアーティストを招いて千葉大生と地域住民とでイベントを開催したことがあり、わたくしも参加しました。

この送信所の価値について、学生と地域住民とでいっしょになって考えてきたことが、このような形で検見川送信所を知る会として結果的に受け継がれていることに感動を覚えました。

私は今は愛知に在住しておりますが、東京へいくことも頻繁にありますので、なにかありましたら参加したいと考えております。

「はじめまして」-yasuaki1さん<2008/10/23>

私は地元検見川に住んでます
検見川の送信所は歩いて5分かからないかも

以前まだあそこが電電公社時代に無線のグランドでよく遊んでました。
子供心にあの鉄塔と針巡られた電線がなんなのかせもしらずに寝転んで空を見てました
確かテニスコートがありそこで友達とテニスしたこともありました。

今日千葉テレビ見てて懐かしく検索してみました
最近あのあたりは散歩で歩いたらあまりの変わりようにびっくりしました。無線の建物が小さく見えました

まさか文化遺産にしようという運動が起こってるとは驚きです
あの無線(検見川送信所)の建物がかなり貴重だとわ

もし残されるのなら、小さなときの自分の思い出として残るのなら自分もなにか力になれたらと思います

「貴重な文化遺産」-ながのさん<2009/1/13>

私の実家が検見川で、送信所の近くです。
送信所の存在自体知りませんでした。

昨年の夏、実家に帰省した折、エントランスまで行って見ましたが、実に風格と歴史がある風情に感銘しました。

入り口にある大きなイチョウの木は、長い歴史をずっと見守って来たのでしょうね。
ちょうどぎんなんの実が落ちていました。

今度、2/14にシンポジウムがあるとか…。
是非、参加したいと思います。

内部の見学会、昨年行われたとのこと。参加したかったです。
いつか、見れる機会をと思っています。

保存、活用…早く実現するといいですね。
古き良き建築…使って生かされますね。

「ぜひ保存を!!」-yamaさん<2009/1/14>

はじめまして。
yamaと申します。

3歳から14歳まで検見川に住んでいました。

自分が住んでいたのは送信所からは遠かったでしたが、友人が無線グランドの近くで、小学生ながら昔は不気味な建物で近寄りがたいところでした。

こちらの情報を読んでからは重要な建物と知り、ぜひ、保存へ!! と思い書き込ませていただきました。

しかも、コールサインが『J1AA…』だったとは!!
自分は花園中で無線部で活動していたので、無線送信所にとても興味がわきました!!

ぜひ、皆さんの活動で送信所の保存を願います!!

また、シンポジウムも参加できれば行きたいと思います。

「アートプロジェクト検見川送信所」-長田謙一さん<2009/1/21>

初めて書かせていただきます。もと千葉大学、現首都大学東京の長田と申します。

知る会のご活動、遠くから敬意をもって応援させていただいております。一度、事務局か代表の方にお電話差し上げた者でもあります。

2000年から2002年にかけて、千葉大学の学生たち、町の多くのみなさまとともに、「アートプロジェクト検見川送信所」を展開させていただきました。(検見川のみなさま、その節は、大変お世話になりました。)

当時は、送信所保存運動にしないことと千葉市からきつく条件付けられた制約の中ではありましたが、アートを通して送信所よみがえれ、という思いで取り組んだプロジェクトでもありました。

「吉田鉄郎の故郷に住まうものとして」-takokintotoさん<2009/3/2>

当方ブログ「高岡近代化遺産情報」の相互リンク集に検見川送信所を知る会のリンクさせていただきました。

吉田鉄郎所縁の地に住まうものとしても是非取り組みがうまくいきますよう祈念しております。

「はじめまして」-ふりおさん<2009/5/22>

ブログで検見川送信所の事を書き、リンクを貼らさせて頂きました。

今は稲毛区ですが、30年くらい前に花園に住んでました。行く度に殺伐としてしまい、個人的に何か寂しさを覚えてます。

陰ながら応援してます、頑張ってください。

「無線の思い出」-KEIKOさん<2009/12/24>

子供時代、検見川に住んでいました。
小学生のころ、検見川送信所を無線と呼んでいました。

そこは、青い空に緑の芝生、花壇には、赤、黄の花。
その真ん中に、真っ白で、丸みを帯び、穏やかな気持ちにさせてくれる建物。

その建物の表面は、白いザラメを貼り付けたような、ザラザラ、そしてキラキラしていたように思います。
建物の中からは、機械の音が小さくきこえていました。

タイムスリップできたらいいなと思います。

 

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