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検見川無線送信所の保存と利活用
―平井東幸氏<2007年10月に収載>

平井東幸(ひらい・とうこう)
早稲田大学商学部卒、日本化学繊維協会調査部長、(株)繊維総合研究所取締役、岩手県立宮古短期大学、岐阜経済大学、嘉悦大学の各教授・図書館長。2007年退職。
主要著書:『繊維業界』(教育社)、『図解 繊維がわかる本』(東洋経済新報社)など。
現在、産業考古学会評議員、(財)日本ユニフォームセンター専門委員。
(1)検見川送信所は文化財であるということ

はじめに

検見川送信所の保存問題が去る10月12日の朝日新聞朝刊千葉版で大きく取り上げられ、広く注目を集めています。その前後にも地元メディアが報道しており、千葉市が所有する、この一見すると廃墟にすぎない建物が市民、建築家、議員、研究者等の関心の的になっています。「検見川送信所を知る会」(代表:仲佐先生)からのご依頼もあって、その保存と活用について、少し私見を紹介したいと思います。

なお、私は産業考古学会に所属していますが、その目的は、産業に関連した建物や機械設備を調査研究し保存することで、会員数は全国に約600名です。検見川送信所も産業考古学の観点からみると電気通信業の貴重な産業遺産です。

はじめに結論として次の4点を指摘しておきます。

  1. この一見すると大規模な廃墟は、実は貴重な文化財だということ、
  2. なので、その本格的調査と保存が強く望まれること、
  3. 保存と活用には、相当の修復が不可欠であること(→相当の経費がかかる)、
  4. この建物を地域のシンボルとして、公共の施設として活用しながら保存再生を図ることが経費面からも肝心であること。

Ⅰ.「文化財」としての理解が不可欠!

この貴重な遺産を保存するためには、その価値をきちんと評価することからスタートするのが一番です。その価値を知ってくだされば、市民の皆さんはもとよりのこと、行政機関も、きっと保存修復に賛同・支援していただけるからです。

すでに専門家の皆さんが指摘しているように、この建物は少し硬い言葉になりますが、「わが国初の国際放送を送信したという歴史的に重要な意味をもつ、日本の近代化に貢献した産業遺産」すなわち文化庁のいう「近代化遺産」であることは明白です。別の言葉でいえば、文化財であることです。

従来、文化財というと、とかく社寺仏閣等の建造物、仏像などの彫刻絵画などに限られていましたが、近年は明治以降の産業遺産も重要文化財に指定されるようになっています。旧検見川送信所の大規模な建造物もこうした文化財に該当すると思われます。

次に、この建物の価値ある理由をとりあえず5項目、すなわち、

  1. 建造物としての価値、
  2. 吉田鉄郎の建築作品としての価値、
  3. 電気通信施設としての歴史的価値、
  4. 政治外交史の証人としての重要性、
  5. 地域の遺産として活用すべき価値

の五つに分けて以下に述べてみましょう。この文化遺産を多面的に評価することで、これまで埋もれていた価値がいっそうはっきり浮かび上がりますから。

(2)検見川送信所の価値を知ろう

次に検見川送信所の価値について述べてみましょう。すでに専門家が指摘しているところを整理すると次にとおりです。

Ⅰ.建造物としての価値

1926年(大正15年)に建造された鉄筋コンクリート造りで、建築様式は表現派とみられています。畑のなかの送信所用の建物なので、機能第一で外面には装飾はほとんどありませんが、全体に角が丸みをおびていることが特色です。正面入口への丸みを帯びた階段アプローチも優美です。完成時は白亜の美しいモダンな建物であったことが、外部からの見学でわかります。重要なことは、この種の建物は国内には数が少ないことです。それだけに当時のモダンな建築様式を後世に残す絶好の遺産であるわけです。

Ⅱ.吉田鉄郎の建築作品としての重要性

吉田鉄郎(1889年~1956年)は、逓信省(元の郵政省、今の総務省)の技官で営繕課に勤務して、多くの郵便局等の郵政関係の建物を設計し、わが国の西洋建築家として著名な一人です。この検見川無線送信所は初期の作品であり、人によっては評価は必ずしも高くない模様です。確かに、後の東京、京都、大阪の各中央郵便局のような個性はまだ発揮されてはいないのは、そうかもしれません。しかし、同氏の作品100以上(提案を含む)ありますが、現存するもの数少ないだけに保存する価値は高いのです。大阪中央郵便局は取り壊しの模様であり、東京中央郵便局については保存運動が起きています。

Ⅲ.電気通信施設としての歴史的価値

この建物は送信所なので、貴重な機械設備等を外部から保護するという機能重視でできています。しかも、畑のなかの立地でしたから、外部の装飾も少ないです。つまり堅固な外観からだけでその真価を評価はできないと思います。大事なのは、送信所の建物として貴重ではないかと思います。この点については現存する他と建造物との専門家による比較検討が必要です。

Ⅳ.政治経済史の観点からの価値

周知のように、1930年(昭和5年)に浜口首相がロンドン軍縮条約締結記念放送をしました。これを送信したのが、ここであり、わが国初の国際放送でした。この建物には、まさに歴史的・記念碑的な価値があります。

Ⅴ.地域資産としての価値

最後に、以上のようにこの旧送信所は多面的な価値があるので、地域の大きな資産です。その価値をきちんと評価することで、地元の貴重な歴史的資産としての認識が広がることでしょう。

この建物は、残土の山に囲まれてしまい一見したところ無価値の廃墟にしか過ぎません。しかし、以上述べたように、実は日本の近代化を国際無線通信という面で支えた歴史を語る証言者であることがわかります。われわれの世代が将来に引き継ぐべき文化遺産です。

皆さん、この建築学的、歴史的、文化的に価値のあるこの遺産の保存にぜひとも理解と協力をいただきたいと思います。そうすることの価値が以上述べたところからもおわかりいただけたことと確信します。

(3)検見川送信所を評価して保存・活用しよう

最後に、もう少し突っ込んで、その専門的な評価と今後の保存や活用についてお話します。

Ⅰ.学術面と安全面の評価をする

前述で、送信所跡の価値について五つの観点を挙げましたが、それぞれについて専門家があらためて調査して、評価する必要があります。今後の保存、修復、利用のためには、住民の方々はもちろんのこと、議会、行政や企業の理解と協力を得るには学術的な、つまり客観的な評価が不可欠です。なお、専門家による調査は現地調査と文献調査、さらに送信所の元職員等の関係者からの聞き取り調査も必要になります。

具体的には、行政はもとよりのこと、元職員、建築家、建築史研究家、放送史研究家、産業考古学研究家などの協力を求めて総合的な調査と評価を行うべきでしょう。

また、保存のための具体的な建物の計測や評価が必要です。頑丈な建物ですが、外から観ただけではよくわかりませんが、屋根の痛みは相当ひどいだろうと、先の見学会の際に某建築家が心配していました。今後の利用を考慮すると耐震性などの安全性評価もいずれは実施しなくてはなりません。

なお、言うまでもないところですが、この建物の所有者の千葉市との意見調整と、その了解を得ることは不可欠であり、さらに元の所有者であるNTTにも大企業の社会的責任の観点からも是非協力と支援をしてもらいたいものです。

Ⅱ.保存再生を検討する

この送信所の価値評価が定まったら、次は修復して保存・活用することの検討です。

ここで大事なことは、「活用しないと保存は難しい」ということです。修復して保存することは、貴重な建造物であっても今の行政の財政状況等からして不可能に近いと思います。したがって、この建物を活用することで事実上行政等の支援をもらう、この建物を利用しながら保存するという道しか他にはありません。

その際には、是非とも地域住民、専門家と行政で検討する必要があります。外観は修復して保存、すなわち、外観は竣工当初の「白亜の殿堂」に復元します。内部は補強工事をして利用目的に応じて自由に活用することです。

例えば、建物の一部に(1)送信所の歴史 (2)吉田鉄郎の業績 (3)この送信所で勤務していた人々の仕事や生活 (4)検見川の歴史等を、模型やパネルも使って展示するのはどうでしょうか。

他の部分は、集会室、図書室等の地域の生涯学習施設として市民に開放する。さらには一部は市民が運営するとか、アイディアは広がります。現状の残土等を取り除き周辺を整備すると立地条件からみても絶好のコミュニティセンターになることが確実です。

Ⅲ.おわりに……廃墟を文化財に

修復・改装工事には億単位の多額の経費がかかります。なので、長期的な取り組みになるのは必至です。この建造物は一見したところ廃墟ですが、実は非常に価値の高い、由緒のある歴史的な建物です。是非、市民、議会、行政、企業、NPO、ボランティアの連携を密にして、そして関連学会や研究機関などの外部の協力も得て、この取り組みを徐々にであっても進めて参りましょう。

最後に、「廃墟を文化財として保存活用できるかどうかは、市民の皆さんのお力如何にかかっている」ということを強調しておきましょう。

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