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「これを残さずして何を残すのか?」<4>
―倉方俊輔氏 検見川送信所を語る<2009年2月に収載>

東京中央郵便局(1931年)
モダニズム建築の金字塔

東京中央郵便局
▲東京中央郵便局(©倉方俊輔)

そして、東京中央郵便局です。中央郵便局がいいかというのは、何回か見ていかないと、分からないかもしれません。いきなり、これを眺めると、「ただシンプルだな」という話で終わるのですが、年代順に吉田鉄郎の建築を見ていくと、だんだん研ぎ澄まされていく過程の中に位置づけることができます。

東京中央郵便局もデザインは繊細です。微妙な柱の出っ張りとか、上のところだけ小さなひさしをまわしていたりと、こういったところが全体の効果を高めていることが分かります。途中のデザインでも素晴らしいのに、もっと先へ先へと一作ごとに前進している。

大阪中央郵便局(1939年)
人間が主役の光あふれる空間

大阪中央郵便局
▲大阪中央郵便局(©倉方俊輔)

大阪中央郵便局は東京中央郵便局の8年後の1939年に完成しました。内部は光に溢れています。鉄筋コンクリートはいろんな使い方ができます。柱の荷重が十分なので、それ以外はガラスを嵌めてもいいし、逆に全部を壁にもできます。ここでは柱と柱の間を開け放つことによって、光あふれる空間を作り出している。それはなぜかと言うと、人間が主役だからです。人間のために最適な環境を与えようとしています。

大阪中央郵便局・内部
▲大阪中央郵便局・内部(©倉方俊輔)

吉田鉄郎の建築というのは、頭の中でこの形が欲しいと思って、作っているわけではない。あくまでも建築の条件や敷地が与えられた上でどうするのか、という時に、吉田鉄郎の手法が出てきます。それが吉田鉄郎の「モダニズム建築」なのです。広い部屋が欲しいとか、光あふれる空間が欲しいといった要求を受け入れて、どうするか、というときに建築家の才能が発揮され、個人的にやりたいことが顔を出す。そんな昭和の始めから戦後にかけての建築設計のやり方を、早い時期に体現した人物なのです。

ここでは広い明るい部屋が欲しいということでガラスを全面に配して、さらに柱の間隔とかガラスの縦横の比率を工夫することで美しく見せています。

大阪中央郵便局・外観
▲大阪中央郵便局・外観(©倉方俊輔)

鉄筋コンクリートの柱と梁の格子型でほぼ建物全体が覆われているのですが、端の一部だけガラスのカーテンウォールに変えて、退屈にならないようにしています。しかし、これも唐突なことではなくて、端が階段室だからこうしている。ちゃんと理由があるんですね。必要な条件を受け止めて、美しいものを作る、そういう手法です。

東京中央郵便局も大阪中央郵便局も、郵政民営化のあおりを受けて、駅前の一等地を高度利用せよという声が強くなって、取り壊しの計画が持ち上がっています。この場所にふさわしい品位を持った、美しい建築だと思うのですが…。

馬場烏山別邸(1937年)
考え抜かれた戦前のモダニズム住宅

馬場烏山別邸
▲馬場烏山別邸(©倉方俊輔)

さて、一連の吉田鉄郎の建築としては最後の紹介になります。これは1937年に完成した馬場烏山別邸です。これは今、第一生命のグラウンドの中にあって、吉田鉄郎と同じ富山県出身の実業家・馬場正治の邸宅です。

一見よくある住宅のような感じですが、戦前の住宅としてこれほどシンプルなデザインは珍しい。しかも、たいへん考え尽くされた設計なのです。

馬場烏山別邸・ひさし
▲馬場烏山別邸・ひさし(©倉方俊輔)

一見して目につくのは、前面の深いひさしです。ひさしの下はガラス窓になっています。つまり、前に見た郵便局と一緒で、柱と柱の間は全部ガラスにしている。当時の住宅で、ここまで窓が広い住宅はそうありません。郵便局なら1日ずっと窓際にいるわけではないので、窓が多くてもいいんですけど、家でこんなに窓が多いと、直射日光が多く入ってくるので、そこにいられないわけですね。ですから、夏の暑い日ざしが奥まで入らないように、ひさしを伸ばしているわけです。と同時に、上のベランダを広くとっている。だからこれも住みやすさという「機能」を考えながら、それをなるべくシンプルで美しい形にしよう、という手法の住宅版ですね。

馬場烏山別邸・玄関のガラスブロック
▲馬場烏山別邸・玄関のガラスブロック(©倉方俊輔)

玄関を入ると、いきなりガラスブロックの壁が立っています。戦前ではまだ珍しい素材ですが、それをついたてのように使っています。新たな材料を積極的に用いながら、今まで見たことのない美しさを追求しているわけですね。実際、ガラスブロックならではの美しさを感じます。

馬場烏山別邸・階段のガラスブロック
▲馬場烏山別邸・階段のガラスブロック(©倉方俊輔)

階段の踊り場にもガラスブロックを用いて、光が注ぎ込みます。ガラスブロックの効果で、独特の雰囲気を帯びた光が取り込まれます。特に戦前の邸宅では、階段は住宅の格を現わす大事な部分と考えられていました。ただ、明るければいいというものではない。ガラスブロックを使うことによって、ある意味でステンドグラスのような、装飾的な効果を生み出しています。この辺にだんだん気がついてくると、やはり吉田さんの設計というのは上手いなあ、と思います。

馬場烏山別邸・キッチン建具馬場烏山別邸・建具
▲馬場烏山別邸・建具(©倉方俊輔)

各部屋には造り付けの建具があります。例えば寝室の扉を開けると、収納が現れて、扉が化粧台に変わる。なるべくシンプルに見えるような収納をあらかじめ作っているわけです。一般にシンプルに見せるというのは難しい。シンプルに見えるデザインには、複雑な裏がある場合がほとんどです。この場合は住宅ですから、雑多な生活の機能をなるべくシンプルな形におさめなければいけない。オフィスの設計とはまた違う難しさがあります。

馬場烏山別邸・リビングの窓
▲馬場烏山別邸・リビングの窓(©倉方俊輔)

窓枠には縦横のラインがあります。この横線は途中で止まってますね。桟だったら突き抜ければいいのですけども、あえてここで止めておいて、一種の装飾のように変化をもたせています。この住宅はほとんど縦と横の直線しか使ってません。シンプルに向かう志向がどんどん研ぎ澄まされていって、最後にはタテヨコの線しか残らない。その考え抜かれた直線が全体に統一感を与え、美しく機能的な建物を成り立たせています。

馬場烏山別邸・和室
▲馬場烏山別邸・和室(©倉方俊輔)

この住宅には和室もあります。こうして見ると、和室も洋室もあまり印象が変わらないですね。なぜかというと、和室はタテヨコの線でほとんどできています。ですから、吉田鉄郎は西洋のデザインを日本のものに近づけたといえるかもしれません。ともあれ、この馬場烏山別邸では、和風の要素も洋風の要素もタテヨコという抽象的な線で覆われています。和室にあるのは、なんてことない障子ですけど、洋室を見た後だと、なんだか吉田鉄郎があえてデザインしたように見えますね(会場笑い)。

馬場烏山別邸・タイル貼り
▲馬場烏山別邸・タイル貼り(©倉方俊輔)

さらに気を遣っている部分があります。先ほども申し上げましたけど、当時の建物は遠くから見てシンプルなんですけど、近くに寄ってまた発見がある。そこが、ただシンプルなだけの建物と違うところで、近くに寄った時の印象は、遠目に見た時と同じではないのです。

例えばタイル貼りの外装。それだけでも素材の味わいがありますが、コーナーの部分をよく見てください。普通だったら角の所で貼り替えそうなものですが、ここではL字型のタイルをわざわざ作って貼っています。このコーナーだけでなく、全体がそうなっています。

吉田鉄郎のデザインは、おおざっぱに言えば、時代が下るごとに曲線から直線へと変化しています。しかし、こうして考えてみると、実は角が丸まっているか直角かということよりも、もっと大事な、吉田鉄郎の建築に共通する性格が見えてきます。それは全体を1つの要素でまとめ上げるということです。

角の部分でタイルを貼り分けると、それぞれの面が関係なくなってしまう。修復工事で新しく貼り替えたところは、普通に貼ってしまっているんです。そうすると、壁と壁の関係がよそよそしいんです。

それがこのようにL字型のタイルだと、印象はシャープですが、二つの面がつながって感じられます。その違いを人間の目は一瞬でとらえます。それがデザインの妙なのです。一見すると何てことのないように見える馬場烏山別邸も、細部にまでとても気を遣っています。そういった意味では、1920年代前期に吉田鉄郎が行った、くるまれるようなアーチで作った形とも一貫しています。吉田鉄郎は、自分自身が追求したい建築の一体感を、次第にデザインの要素を少なくして、突き詰めていきました。ですから、彼のことを「デザインの求道者」と呼びたくなるわけです。

検見川送信所(1926年)
転換期に作られた、唯一無二の存在

検見川送信所
▲検見川送信所(©花園シン)

そういう風に見ていくと、やはり検見川送信所は他に替えがたい価値があると言えます。それはなぜか。吉田鉄郎の設計ということもありますが、それなら他にもあるわけで、他にない部分があるんです。

1つには、デザインを極めていく途中にあって、変わり目となる非常に重要な年、1926年に作られたということです。だから、送信所がなくなると、吉田建築がこうやって進んできたという流れが、読みとれなくなってしまう。だから、これは非常に大事です。

もう一つ、特に大事なのが「無線送信所」ということです。先ほども申し上げましたが、吉田鉄郎は、その建物に求められる機能や性格を受け止めた上で、どうやってデザインで回答するかを考え、そこに自分の技を発揮した種類の建築家です。

先ほどの大阪中央郵便局は、できる限り明るい部屋が欲しいという要望があって、窓を大きく取っているわけです。逆に、検見川送信所は今、鉄板で窓を打ち付けられてるから余計にそう感じますが、窓が少ないんです。しかし、郵便局と違って、無線送信所はそもそも機械が主役ですから、窓はそんなにある必要はない。だからああいう形なのです。逆に言うと、あれだけ壁が多い建築を作れるのは、「無線送信所を」という依頼があったからこそなのです。いくら壁を主役にした建築を造りたいと思っても、オフィスを造る時にこれを造ってしまったら、やっぱり「おい! 中にいる人間はどうすんだ?」と言われてしまいますよね。

本来、無線送信所はデザインしにくい題材だと思うんですね。それを受け止めて、こういう壁がちで、角の部分は丸くして、全体の形も普通のオフィスとは違う、良い意味で不気味な部分も現れた建物に仕上げるというのは、吉田鉄郎の腕なんです。

しかし、それ以前の問題として、「無線送信所」という依頼がこないと、建築家として、このような回答は出せなかったと思います。吉田鉄郎が手がけている無線送信所は他に残っている物はないので、これがなくなると、唯一のものがなくなる。ほかに替えがたいわけです。今日は初めに「施設」と「建築」を分けましたけれども、そんな簡単に分けられないものが吉田鉄郎らに始まる「モダニズム建築」なのです。実はこれが今日の3番目のキーワードで、施設の性格にあったものをいかに作るか、いかに答えを出すか、ということに関わります。「施設」と「建築」は手をつなぎ合っているのです。ですから、これを残さずして何を残すのだ?と思います。

検見川送信所
▲検見川送信所(©花園シン)

検見川送信所は、実際に見ても非常に印象的です。正面から見るのもいいですが、横から見ても後ろから見ても、非常に表情が変わる。それはなぜかというと、屋根の高さがいろんな高さに組み合わさっていて、山並みを見るように、それが角度によって姿を変える。角を丸くしている上に、上の方まで丸くしている。すごい手間がかかっているのです。なんで、ここまでやるんだ、というくらい手間をかけて建築に統一感を与えています。それが人の視線によって違った表情を見せます。角のカーブはあるところでは強く見えるし、ある角度ではあまり感じない。シンプルだけども、これほど歩く角度によって見え方が変わる建物はそうないと思います。中をどうするかという問題を置いておいても、建物の周りを歩けるようにするだけでも、価値があります。周りの住宅地の人々の視線、あるいは町の見え方というのは全然、変わってくる。検見川送信所はそういう価値のある建物であるということが実際に目にしてよく分かりました。

以上で終わります。

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