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この物語は菊谷秀雄著「検見川無線の思い出」(自費出版)と史実に基づいていますが、一部フィクションもあります。

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1930年10月のスパイダーズ ~検見川無線、16日間のプロジェクトX~

Part 2

●1930年10月12日(日)

日曜の朝、いつもなら布団の中に潜り込んでいる頃、工藤技手は甘藷(かんしょ)畑の真ん中に立って、頭を抱えていた。

サンフランシスコに向けたアンテナを張るには、少なくとも長さ500メートル以上、幅10メートル以上の場所を確保しなければ、いけない。どこにどう杭を打ったら、いいものか。

工藤は朝露で濡れたイモの蔓に足を取られながらも、部下と測量に回った。イモ畑は足跡だらけだ。

後で地主を探して、謝らなければと工藤は思った。しかし、今は電柱を建て、アンテナを張ることが先だった。

話を進める前に、読者の想像力をお借りしなければ、ならない。昭和5年の検見川送信所がどんな場所だったのかを一緒に思い浮かべて欲しい。

まず吉田鉄郎設計による真っ白な局舎がある。正面玄関前には道路が開けている。周囲は広く土地をとられていて、四方は塀に囲まれていた。

松井天山 画・千葉県検見川町鳥瞰図
©菊谷秀雄「検見川無線の思い出」より

松井天山が昭和5年1月に書いた「千葉県検見川町鳥瞰図」にも、そのように描かれている。同所には民家一軒なく、ただただイモ畑が広がっている。

逓信省は無線局を作るに当たって、東京の本局からさほど離れていない場所で、かつ広大な平地という条件で探していた。

そして、ここ検見川に送信所を、埼玉の岩槻には受信所を置いた。この2つは互いに電波の送受信を干渉してしまうため、対の存在でありながら、ある程度の距離を取る必要があった。

さて、話は送信所近くのイモ畑に戻る。

工藤はようやく、適当な場所を見つけ、杭を打った。それが終わると、電線を埋め込む場所も確保しなければならない。やることは山積みだった。

一方、電柱担当の寺島、石垣は人夫頭の佐久間と臨時雇いの大工に電柱を作らせていた。45メートルの木などないから、木と木を接いで、高さを出す。それらの電柱は、その立ち姿から「人形柱」を呼ばれていた。太い木を引っ張り出して、手鋸で切ったり、金槌で打ったりと、作業の音が響き渡った。

菊谷は休日返上の職員を労い、現場を見て回った。

●1930年10月13日(月)

検見川送信所近くの甘藷(かんしょ)畑を持つ地主は、畑の荒れた様に驚いた。近くの陸軍施設から馬が逃げ出したか、野犬が群れをなして、畑を食い荒らしたかのようだった。収穫前のサツマイモ畑に一筋、踏まれた跡がある。それを辿っていくと、杭が打たれていた。

なんだ、これは!

地主は杭を蹴飛ばしてみせた。

そんな様子を遠くから見ていた工藤技手は駆け寄った。

頭を下げながら、訳を説明した。菊谷も、慌てて割って入った。

町長には、この国際放送の事業について、理解を得ているが、肝心の地主のところまでは話はいってなかった。

「訳の分からない物を勝手に立てるな」

地主は2人を怒鳴りつけた。

大正12年(1923年)12月、検見川送信所の土地買収が行われた。当時の有力者が地主を説得に当たった。しかしながら、すぐさま、理解を得られたわけではない。検見川町民は代々、この地で暮らしてきた人間が多く、地縁を大事にしてきた。お国のためにと思い、彼らは先祖代々の土地を手放すことに納得したのだ。彼らの献身なくして、日本の無線事業の成長はなかった。

「お怒りになるのはごもっともです。ご了解を得ずにこんなことをしてしまい、申し訳がありません」

菊谷は何度も頭を下げなければいけなかった。

昭和5年は不景気のどん底だった。昭和に入って、軍備拡張路線を執った日本政府が軍縮を受け入れたのも、不景気による社会不満の声も大きい。特に、農家の被害は大きく、米価は暴落。東北地方では娘を売って、食い繋ぐという悲惨な状況だった。ここ検見川でも、例外ではなく、サツマイモが叺(かます)1袋で1円50銭しかならず、大阪、東京に送ると、鉄道便の値段の方が高かった。しかし、農家はそれでも出荷しなければ、生活していくことができない。

菊谷は国際放送事業の重要性について根気強く説明し、「無断に柱を建てたのは申し訳ありませんが、金額のことは決して、悪いようには致しません。私に任せてください」と言った。

地主は補償があると聞き、安心したようだった。「信じていいんだな」と言うと、少し納得した様子だった。地面に転がっていたサツマイモを拾い集めて、「これ、持っていきなさい」と言った。

「腹も減ったろう?」

地主はようやく笑みを見せた。

「しかし、これを戴くわけにはいきません」

菊谷は潔癖な男だった。それは逓信省の先輩、中上豊吉無線係長の教えだった。「所内の物は鉋屑ひとつでも持ち帰らないように」。中上は菊谷にそうアドバイスし、検見川送信所へ送り出した。以来、部下にも、身を清くするように、と口を酸っぱくして言ってきた。

地主は「これは気持ちだよ。受け取れないなんて言わないだろうね。しっかり、お仕事をしてください」といい、菊谷は恐縮しながらも受け取った。

「お心遣い、感謝いたします」

菊谷と工藤はイモを抱えながら、白亜の局舎に戻った。「しばらくはイモ尽くしになりそうですね」と工藤は菊谷に笑いかけた。

 
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