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ノベル館
Part 4●1930年10月18日(土)昼頃。検見川無線通信技手の原峯之進は検見川町の旧道交差点で電柱を載せたトラックの到着を待っていた。 1時を指した懐中時計を見ながら、「遅い」と呟く。 原は朝から、送信所とこの交差点を何度も往復していた。 旧道から送信所までの登り坂は道幅が狭く、トラックでは登ることができない。ここから先は荷を下ろして、人力で運ぶため、その連絡係を任されていた。 5度目の往復で業を煮やし、局舎の所長室に駆け込んだ。 「電柱が届きません!」 電柱がなければ、作業を続けることができない。 「どういうことですか?」 「何度も見に行ったのですが、それらしいものは何も」 「朝、東京からは遅くても昼には着くと、聞いていましたよ。おかしいですね」 その時、電話が鳴った。東京からだった。 「実はトラックが捕まりました。本所の交差点で信号無視で突っ走ったそうです。運転手が本所警察に引っ張られました。急いで運べとは言ったのですが、まさか信号無視をやらかすとは」 「急がば回れ、とはこのことですね」 「こちらも、人をやって釈放してもらえるように尽力していますが、運転手の態度がよくなかったようで、手こずっています」 こうなると、手の施しようがない。 3時頃、ようやく電話があって、「いま釈放されました。一時間以内には着くはずです」と知らせてきた。だいぶ日が沈んできた4時すぎに、トラックは到着。運転手は何度も頭を下げて謝った。東京組、千葉組が取りにいった。原は電柱を測量しながら、3等分して、3組に引き渡す。 「日が暮れる前に、全部持っていくぞ」 力自慢の男たち5、6人が長い電柱を抱える。 「声を出して、いくぞ!」 男たちは神輿を担ぐようにリズムを取って、坂をかけ上がっていく。 東京組の男は「近道はどっちだ?」と原に聞く。 指をさして「こっちですけど、とても狭いんで、迂回した方が」というが、気の短い江戸っ子には間に合わない。 原は慌てて追いかけていく。 “電柱神輿"は人間二人がすれ違う程度の狭い路地を抜けていく。そして、角にぶつかる度に、塀や生け垣を薙ぎ倒し、大きな音を立てた。 男は舌打ちをして、誰に言うわけでもなく、呟いた。 「やっちまった。でも、やっちまったもんは元には戻らない」 「どうぞ、慎重にお願いします」と原。 江戸っ子は宵越しの金も持たないが、聞く耳も持たない。とっとと先に進んでいく。 「そんなぁ、困るんですけど」 「運ぶのは俺たちの仕事、謝るのはそっちの仕事だ」 無茶苦茶な話だ。とはいえ、謝りに行かざるを得ない。そのうち、検見川の町民が騒ぎを聞きつけ、路地に出てきた。火事場か祭りかとも思える大騒ぎだった。 原は一軒一軒に謝りに行き、大工を連れて直しにいったり、修理代を持っていったりと雑務に追われた。 一方、検見川無線では待ちに待った電柱の到着に歓声が沸き起こった。 菊谷は夜間工事も考えて、作業現場と局舎までの間に100ワット電球を無数につけさせた。 畑は不夜城のごとくの明るさで、大工たちも「これなら、仕事ができる」と、やる気を出した。結局、夜10時すぎまで、木を切ったり、金槌で打ち付ける音が響き渡った。前日の休養日、電柱の到着の遅れも、すべてチャラになって、お釣りが来たほどだった。 ●1930年10月19日(日)菊谷らが暮らす官舎は局舎から100メートルほど離れた場所にある。 菊谷は物音で目を覚ました。手斧を打つ音だった。時計を見ると、まだ4時すぎだ。窓を開けると、局舎の正面がよく見えた。さっと着替えて、出ていった。音の主は千葉組だった。 短髪の後姿が見えた。 「おはよう」と声をかけると、少年の顔が見えた。まだ16、7歳だろう。肌は浅黒いが、ツルンとしている。 「あ、所長さん。おはようございます」 よほど集中していたのか、気が付かなかったようで、突然の訪問者に驚いたようだった。 「随分早くから精を出しているねぇ。君はどこの組なんだい?」 千葉組の大工の棟梁が抱えた弟子だった。 「僕は仕事がトロくて、半人前なんで、ほかの人より早く始めることにしたんです。ちょうど電灯もついていたし」 作業現場は盗難防止のため、夜間も電灯を灯していた。 「ちゃんと寝たか?」 「4時間くらいかな。でも、昨日は仕事が終わってグッスリ。だから、大丈夫です」 こんな少年までがもの作りに夢中になっている。うれしくなった。 やがて、工員たちが次々と姿を見せた。 「皆よく働いてくれた」と菊谷は自伝に書いている。夜明けから働き、昼の弁当を食べると、夜は10時までで、宿に戻ってから夕食。検見川町民もサポートした。 ●1930年10月20日(月)建柱3日目。いよいよ柱を建てることになった。カウンターポイズ(アース)の前には、柱を引っ張る支線、アンテナを上から吊り下げるメッセンジャー(支持線)、指向性アンテナがズラリ並んだ。 菊谷はそれらを眺めて満足そうな笑みを浮かべた。建柱の話をどこから聞きつけたのか、朝日新聞の今井記者も見物にやってきた。 「壮観ですね。よくも、こんな短期間にできたものだ」と今井記者は菊谷に話しかけた。 「ええ、みなさん、よくがんばりました」 検見川無線組は朝から電柱を繋いで、一本にする作業を終えていた。柱は畑の穴が開いたところから一直線に置き、木組みをして、さらに長いボルトで締め付け、さらに太い八番鉄線でぐるぐる巻きにする。こうして、45メートルの一本の柱が誕生する。 これを穴に落として、中心点を定め、一気に立ち上げるわけだ。 「しかし、こんな長いものがどうやって立ち上がるですか?」 今井記者が菊谷に聞いた。 「お神楽さんを使います」 「お神楽って、“祭り”の?」
「お神楽さん」とは、昔から日本建築で建柱に使われているウインチのことだ。中心部にロープを巻きつけるようになっていて、1メートル以上のハンドルが4個ついている。このハンドルを回すことによって、梃子(てこ)の原理で引き上げる。 一般に「神楽桟(かぐらせん)」と呼ばれることが多いが、それがなまって、いつしか「おかぐらさん」と呼ばれるようになったのだろう。 最初に2本の柱を逆V字に組み、そこを支点してロープを通す。四本繋ぎの柱の先端、途中の二ヶ所にロープをつける。そして、3台の「お神楽さん」で巻き上げ、柱がしならないよう直線を保ちながら、起こしていく。 東京組も千葉組も作業の手を止め、検見川無線の建柱の様子を見ていた。 工事頭が笛で合図を送る。 「用意はいいか?」 「お神楽さん」1台につき、引き手が4、5人ついている。彼らは大きく頷く。焦ったりしてはいけない。柱がしなって弓のようになると、折れてしまう。タイミングが肝心だった。そして、引き手の気持ちがひとつになって、最初の柱が立った。 東京組、千葉組からの拍手が起こった。 穴には軽く土が加えられ、4本の支線のうち、2本を仮留めすると、菊谷と工藤は互いの方向から垂直をチェックすると、作業員たちは柱の根元に土を埋め戻した。 第1の柱が建つと、今度はこれを支えにして、10メートルを建て、さらに両方の柱の頂上に2本の電柱を渡した。あたかも、高さ45メートルの巨大な鳥居のようだった。
東京組、千葉組もそれを見届けると、「俺たちもやるぞ」と言って、現場に戻った。作業員たちも、やり方が分かってほっとしたのだろう。 午後にはだいぶ作業が進んだ。 「順調そうですね」と今井記者は言った。 「明日にも6本の柱が立ちそろうでしょう」 菊谷は近くにいた幹部2人小田孝一、工藤百之に話しかけた。 「君たちの目から見て、どうですか?」 「いけると思います」 小田が答えた。 菊谷は東京逓信局の大山工務課長に激励に訪れてほしいと連絡を取った。工務課長は電信電話の保守・工事の長官といった存在。当時は親分子分の気風が色濃くあったので、部下からは「神様の次」のように崇められていた。 合間を見て、作業員を集めて、「明日は工務課長がみなさんを励ましにこられる」と話した。一同、驚きの声を上げると、いっそう気を引き締め、作業に取り掛かった。前日も10時までだったが、この日も遅くまで仕事に没頭したのだった。 ●1930年10月21日(火)この日も朝から晴れ上がった。菊谷が所長室にいると、「マツヘイさんがいらっしゃいました」と声がかかった。 マツヘイとは松戸平次郎といい、検見川無線の出入りの商人だった。今日は建柱祝いをするので、前日夜、酒樽を2本注文しておいたのだ。 玄関にはリヤカーを引っ張ってきたマツヘイがニコニコして待っていた。荷台の上には「正宗」の銘がついた真新しい酒樽が載っている。 マツヘイは菊谷の耳元でささやいた。 「注文通り、中身は入れ替えました。一斗10円で全部で八斗です」 本当はいい酒を振る舞いたいが、予算もある、人数もいる。中身は一番安い地酒に変えてもらうよう頼んでおいたのだ。 菊谷は頷いた。 「この話は内緒でお願いします」 「承知しております」 菊谷は職工長の田久保耕作を呼び、現場からよく見える畑の畦道に机を置くように命じ、マツヘイに酒樽を置くように頼んだ。 作業員たちは酒樽の行方を見ていた。こんなところに、立派な酒樽が置かれたら、どの組もやるしかない。そんな気持ちになる。 しかも、午後には工務課長が視察にやってくるのだ。東京組、千葉組は「45メートルの柱4本を今日中に建てなければ、工事局の恥」と前日以上にやる気を見せた。 その結果、昼前には6本のすべての柱が建った。 残りは前後の柱にメッセンジャー(支持線)、アンテナをつけるための横木をつければ、柱の工事自体は終わりだった。 「工務課長がお見えになりました」と声がかかり、菊谷は局舎に戻った。 「順調そうだね」と大山工務課長が言った。 「みな、朝から晩まで働いてくれています」 「君も疲れただろう。休んでいないのでは」 考えたら、国際放送の件を命じられてからというもの、1日たりとも休んでいなかった。仕事も山ほどあったし、何よりも、自分が休んだら、下の者に示しがつかない。 菊谷は局内の送信機を披露し、屋上にも案内した。現場の様子が手に取るように見えた。 「1週間はかかると見ていたのだが、随分早くできそうだな。君に任せてよかったよ」と大山はいった。 最後に、第2発振室の階下の倉庫にある「J1AA」を見せた。これは水晶発振機による国産初の大型の短波無線機である。東京無線電信機株式会社が作ったが、「自信がないから工場テストはしない」と言ったいわくつきの代物。この年の3月に搬入された 当初は苦労の連続だったが、今では成果を上げている。 「こちらの調子はどうかね?」 「機械の調子は悪くないのですが、夏場、作業する方は大変です。この部屋は狭い上、窓も小さいものしかありません。蒸し風呂状態なのです」 「早くも手狭になった感じだな。新たに建物を作る必要があるかもしれないな。営繕課の吉田君にも報告しておくよ」 営繕課の吉田とは、この建物の設計者、吉田鉄郎のことである。彼自身も建物の使い勝手は気になっていた。 当時、吉田は36歳。代表作といわれる東京中央郵便局(昭和6年12月竣工)の設計に取り掛かっていたころである。検見川無線送信所の第2期工事が完了するのは7年後のことだった。 大山は現場を見て回り、作業員と顔を合わせる度に、帽子を取って、お辞儀をした。 作業員たちは現場の最高責任者がそこまで敬意を表してくれるのかと感激したようだった。夕方になって、雲行きが怪しくなり、雨が降りだすと、菊谷は大山を局舎内に促した。 「本日は遠くまでお越しくださり、ありがとうございました。みんな感激し、士気が高まりました」 大山は「そうか、そうか」と言って、笑みをこぼした。菊谷は同行していた線路係長を呼び止めた。 彼は電柱や銅線を手配した人物である。 「夕方、建柱祝いをやりますから、部下の方と残っていただけませんか?」と告げると、意を察した係長は大山に「私は打ち合わせがあるので残りますが、よろしいでしょうか」と話した。 大山は「そうか、ご苦労様。後のことはよろしく頼むよ」と言って、京成検見川駅の方へと向かった。 その頃には雨はすっかりやんでいた。
菊谷が工事現場に戻ると、「軍縮祝賀」と書かれた横断幕が風に吹かれていた。三崎文蔵書記補が柱に取り付け作業をしている。 菊谷の命を受けた工藤と原は東京組、千葉組に建柱祝いをやる旨を伝えた。 原は「みんな自分が建てた柱を登れ。横木を渡って、後ろの柱から降りてこい。渡った者には高塔登はん手当を出す」と告げた。これも菊谷のアイデアだった。 これは高い鉄塔に登って作業する時の危険手当である。一般の工事局には出張手当があったが、検見川無線にはそういった手当はなかった。菊谷が関東地区の工務課会議の時に、「1日何回登っても一律50銭でいいから支給してほしい」と提案して、生まれ制度だった。 わずかな金額だが、毎日登れば、月々10円以上になる。月給40円の彼らにとっては魅力があった。 東京組、千葉組の面々は自分たちが建てた45メートルの柱を登り、反対側の柱から降りてくると、酒樽の前に集まった。 菊谷は前に出て、「『1週間以内に建てろ』と言われた柱がみなさんのおかげで4日で建ちました。正宗の薦(こも)被りを用意したので、仕事を忘れて、こころゆくまで飲んで下さい。無礼講と行きましょう!」とあいさつした。 小さな掛け矢を使って、鏡開きをし、線路係長に掛け矢を渡すと、係長は神妙に一礼してから、もう一つの樽のふたを開いた。 町中から集められたありものの茶碗に酒が注がれていく。 さっきまでの雨は嘘のようで、きれいな夕焼けが送信所を柔らかく照らした。100人以上の工事関係者に加え、見物人、それに新聞記者も輪に入った。 誰からともなく、「海軍軍縮放送バンザイ!」と声が上がると、菊谷が前に引っ張り出された。 「バンザイ!」 菊谷が大声を上げた。 みんながそれに応えて、「バンザイ!」と声を揃えた。彼の頬をうっすら涙が伝わった。 検見川無線組も東京組も千葉組も乱れて、飲めや歌えの大騒ぎだ。終わりなき祝宴の始まりだった。 菊谷は満足そうな顔を浮かべ、ひとり局舎へと向かった。 工藤は菊谷を呼び止めた。 「所長、もう戻るのですか?」 「まだ仕事が残っているんだよ。それに、私がいたら、みんなも気兼ねするだろう。 工藤君はいけるクチなんだから、楽しんできてください」 「そうですか、ありがとうございます」 工藤は駆け足で戻っていった。 菊谷は所長室で仕事をしながら、時折、窓から宴の様子を見てはうれしそうな顔を見せた。
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