終了イベント<2008年>

「東京産業考古学会」と「知る会」共催で
送信所見学会と研究会を開催<2008年10月25日>

送信所前に集う見学者
送信所前に集う見学者

さる2008年10月25日、東京産業考古学会の主催、そして検見川送信所を知る会の共催による見学会と研究会『千葉県の産業遺産を考える』を開催しました。

検見川送信所見学会

送信所OBによる説明

午前中は検見川送信所の見学会を開催。参加者は午前10時にJR新検見川駅に集合し、知る会スタッフの誘導により、徒歩で検見川送信所に向かいました。

現地では、送信所の元職員で知る会会員でもある岩佐悦次氏による詳細な説明や、同じく会員である建築士の菊地潤氏による検見川送信所建物の解説、知る会の仲佐秀雄代表による今後の活動方針に関する説明が行われ、参加者からも活発な質問がなされるなど、一同、検見川送信所の過去・現在・未来を深く理解するひとときを過ごしました。

『千葉県の産業遺産を考える』-東京産業考古学会研究会

見学会の後はJR新検見川駅から総武線で西進、JR本八幡駅もよりの『千葉県立現代産業科学館』に会場を移し、午後からは東京産業考古学会主催の研究会が行われました。

まずは同館の学芸課長である福原宣之氏から『千葉県の産業・交通遺蹟の調査について』と題した報告がありました。1998年に行われた千葉県産業・交通遺跡実態調査に基づいて、福原氏がお薦めする産業・交通遺蹟の解説がなされました。

その後は、福原氏の案内で同館の館内を見学。産業発達のキーとして、電気・石油・鉄に着目したカテゴライズで整然と展示がなされており、また千葉県内には、すべてのカテゴリに該当する産業施設が存在することが紹介され、改めて千葉県という土地柄が、近代日本建設に大きく貢献していることを知りました。

「保存成功の鍵は、地道かつ綿密な調査報告だ」
愛知県刈谷市の依佐美送信所保存活用の事例

続いて、愛知県立豊橋工業高校教諭の石田正治氏による『愛知県刈谷市の依佐美(よさみ)送信所保存活用の事例について』と題した、愛知県刈谷市に所在の送信所について報告がありました。

石田正治氏による講演

ヨーロッパとの無線通信を行うために建設された依佐美送信所は、1930年(昭和4年)に愛知県刈谷市にて竣工し、前年に開局していた三重県の四日市受信所と一体になって運用を開始しました。終戦後は接収され、長らく米軍の通信施設として使用されてきましたが、1993年(平成5年)に閉局のため日本に返還。建物内の通信設備は、産業考古学の見地から保存するに十分値する貴重な遺産であるとして、石田氏らが中心になって保存運動を展開。その甲斐あって、周辺一帯が『フローラルガーデンよさみ』という公園として整備された際に、その一角に通信設備を保存展示する『依佐美送信所記念館』が2007年(平成19年)に開館するに至りました。

保存活用が実現した貴重な事例として、石田氏の体験談をはじめとする報告内容は、同じ送信所の保存をテーマにしていることもあり、検見川送信所の保存実現についても十分参考になるものでした。特に印象に残ったのは、「依佐美送信所の保存活動が成功した鍵は?」との問いに答えた石田氏の「とにかく施設の地道かつ綿密な調査報告に限る。調査報告の出来映えが、保存する意義を説得する大きな力になる」という言葉。知る会スタッフにとっても十分に納得できる貴重なアドバイスとなりました。

検見川無線送信所の評価と保護について

「知る会」スタッフによる報告

研究会最後のプログラムとして、「知る会」事務局長の久住コウ氏、会員の菊地潤氏が登壇し、検見川送信所保存活動の背景や、検見川送信所の建築的特徴などが説明され、保存するに値する建物であることを説明するとともに、「知る会」の設立から1年経過した現在までの取り組み状況や、千葉市の動き、マスメディアでの報道など、検見川送信所をめぐるホットな動きが報告されました。

 

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