終了イベント<2009年>

熊谷千葉市長に「保存、利活用に向けた調査要望書」を提出しました

仲佐代表より要望書を受け取った熊谷市長
仲佐代表(左)より要望書を受け取った熊谷市長(右)
熊谷市長に面会する「知る会」メンバー
熊谷市長に面会する「知る会」メンバー

「知る会」はさる2009年8月28日午前、千葉市役所に市長の熊谷俊人氏を訪ね、『検見川送信所跡の保存、利活用に向けた調査要望書』を提出しました。

当日は仲佐代表、高井副代表、久住事務局長をはじめ、送信所OB・地元有志・建築家・産業遺産保存団体・NTT関係など各分野で検見川送信所保存を求めている「知る会」会員総勢14名が市長に面会、要望書提出に立ち会いました。

歴史好きであるうえに、神社・仏閣といった古い建築物にも造詣があるという熊谷市長は、今春まで務めていた千葉市議時代から検見川送信所の保存問題にも関心を持たれ、「知る会」主催の各イベントにも毎回のように参加していただいただけに、主要メンバーとは知己の間柄ということもあって、「知る会」としても熊谷氏の市長就任はとても心強く受け止めています。

熊谷市長には早くから面会を要望していましたが、市長就任時に話題になったように国内史上最年少の市長であり、各マスコミの取材が殺到する中、定例市議会に入ったこともあってなかなかスケジュールが定まらず、ようやく今回の面会が実現したものです。

熊谷市長からは、「このような形で皆さんとお会いできるとは思ってもみませんでした」とユーモアを交えながらの開口一番で一同の笑いを誘いつつ、なごやかなムードで始まりました。

要望書を朗読する高井副代表
要望書を朗読する高井副代表
市長に提出した要望書
市長に提出した要望書

要望書を受け取った熊谷市長は、「検見川送信所の価値については十分認識しており、市としても科学館等との連携を図りながら、保存方法の方向性を見いだしていきたい」と、保存に向けて非常に意欲的な考えを示し、「知る会」としてはとても心強く受け止めました。その上で市長から「保存を前提としたときに、その利活用のアイデアを皆さんからもどんどん出していただき、お知恵を拝借したい」というリクエストがあるとともに、「まずはできれば年内にでも送信所の内部を拝見したい」と、内部見学会についても具体的な実施時期が示されました。

なお事務局からは最近入手した情報として、送信所OBより寄せられた、検見川送信所の竣工時の鮮明な写真や、閉局後の1984年(昭和59年)に建立された記念碑の竣工時の写真などを資料として市に提供しました。

千葉日報の取材を受ける「知る会」主要メンバー
千葉日報の取材を受ける「知る会」主要メンバー

市長との面会後は市役所内の記者クラブに立ち寄り、市長に要望書を提出したことについて千葉日報記者の取材を受けました。なお、この取材内容については翌8月29日付け・千葉日報にて報道されました。

懇親会の様子

その後、千葉駅近くのレストランに移動し、懇親会を開催。今日の要望書提出が成ったことの喜びをかみしめつつ、メンバーそれぞれの送信所への思いを語り合いました。

要望書の内容

2009年(平成21年)8月28日

千葉市長 熊谷俊人様

「検見川送信所を知る会」
代表・仲佐秀雄

検見川送信所跡の保存、利活用に向けた調査要望書

拝啓、時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

本会は07年(平成19年)8月、検見川無線送信所跡(千葉県千葉市花見川区検見川町5-2069)の保存と利活用を図るため、その歴史的、建築学的な理解を深め、その価値を広く周知させることを目的に発足した市民団体です。07年10月27日の第1回イベント以来、シンポジウム、見学会、写真展などの各種イベントを市内外で開催してきました。熊谷市長におかれましては同会主催イベントに参加いただき、その理解とご協力に感謝申し上げます。

千葉市が所有する旧検見川無線送信所局舎は日本の建築史的にも、産業史的にも貴重な建築物です。

設計は「東京中央郵便局」「大阪中央郵便局」などを手がけた大正・昭和前期を代表する逓信省営繕課の建築家・吉田鉄郎氏(1894年~1956年)。1926年(大正15年)に竣工し、1930年(昭和5年)には日本初の国際放送を成し遂げました。千葉市は第2次大戦中に2度の大規模な空襲に遭い、大正期、昭和初期の建物がほとんど現存しておらず、鉄筋コンクリート造建築物としては市内最古級に属します。

専門家によって、「国宝級」とも言われた東京中央郵便局が再開発により、取り壊し工事が進み、大阪中央郵便局も再開発計画が浮上する中、検見川送信所の重要性は増しています。

局舎の保存をめぐっては、08年3月には検見川町連合町内会が送信所局舎の保存、跡地全体の利活用に関する要望書を提出。同年6月には国際的な建築団体「ドコモモ・ジャパン」(代表・鈴木博之青山学院大学教授)が重要モダニズム建築として選定。さらに同年7月23日には社団法人日本建築家協会関東甲信越支部などが千葉市指定文化財にするよう 要望書を提出しました。

日本建築家協会の要望は、熊谷市長も在籍した経済教育委員会での審議結果(09年3月)は「不採択」でありましたが、調査を前に保存手法を決めることはできないという判断であり、委員の間でも、その重要性には異論がないと理解しています。

一方、千葉市は、我々市民の声を受け、保存を検討し、教育委員会生涯学習部でも平成21年度に予算を組み、保存の前提である「調査」を行うと表明していましたが、予算化はされませんでした。市民が要望し、事務当局でもある教育委員会生涯学習部が明言されていたことが実現しなかったことは、残念であると言わざるを得ません。

千葉県建築家協会が08年11月に行った内部見学会では、「内部は良好」との所見が出ています。ただ、外壁の崩落は加速度的に進んでおり、早急な対処が必要と思われます。また、09年3月30日に開催された第3回文化財保護審議会でも、議長が「予算はないけれども調査できるものについては実施していただきたい。審議会としてはどういう形(※知る会注 国登録文化財か市指定文化財か)であれ、これは保存すべきであるという意見があるので、その意見は尊重していただきたい」と発言されています(同議事録より)。

「市民本位の市政」を掲げる熊谷市長におかれましては、速やかに現地(特に外壁、内部)を視察していただき、保存、利活用に向けた調査を行っていただくよう強く要望します。

千葉市の財政状況が厳しいのは十分に理解していますが、小樽市などでは文化財保護、町づくりを目的にした寄付条例を制定し、厳しい財政下にあっても文化財保護を行っております。本会としても、求められれば、同建物の保存・利活用に関する協力を惜しまないことを申し添えます。

敬具

 

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