終了イベント<2011年>
『検見川送信所 保存元年-
「明石小」と「田中絹代ぶんか館」に学ぶ』を開催<2011年3月6日>
さる2011年3月6日午後、千葉市中央区の千葉市文化センターで『検見川送信所 保存元年-「明石小」と「田中絹代ぶんか館」に学ぶ』を開催しました。
検見川送信所は事実上の保存活用が決定しており、千葉市による発注で建物保存復元のための劣化状況調査が民間の建設会社により行われています。
この調査結果によって復元の規模や費用が判明すると思われますが、その内容によっては千葉市の財政状況等を鑑みると、困難な状況も推測でき、また活用方法についても意見が百出することが予測され、その集約にも高度な判断が予測できます。
そういった状況の中で、建物保存について既に活動を行っている団体等の取り組み経過や成果等について学ぶ必要性があるのではないか、ということで、建物保存の成功例と失敗例の実際についてそれぞれの活動事例を講演いただくことになりました。
特別報告 県立高校2校の放送委員会制作ピクチャーラジオを上映
まずは特別報告として、検見川送信所の周辺にある県立高校2校の放送委員会が、千葉県高等学校文化連盟主催の放送コンテスト用に制作したピクチャーラジオを上映しました。県立幕張総合高校制作の『残すために』と県立検見川高校制作の『守りたいもの』がその作品。
2校ともたまたま偶然、検見川送信所と「知る会」の存在を知り、特に「知る会」の活動にフォーカスした取材を展開。「知る会」スタッフも多数登場させていただきました。
なお2校の作品のうち、検見川高校の『守りたいもの』は、高等学校文化連盟主催の関東大会において優秀賞を受賞しています。
ケース1 東京都中央区立明石小学校の事例-中村敬子さん・多羅尾直子さん
まずは残念ながら保存がかなわなかった事例として、東京都中央区立明石小学校について取り上げました。同校の卒業生で『明石小学校の保存を望む会』代表をつとめる中村敬子さんと、同校の近隣にお住まいで、『望む会』活動に参画されている建築家の多羅尾直子さんをお招きし、これまでの経過についてご報告いただきました。
同校は関東大震災後の復校事業として建てられましたが、多数が建設された復校小学校の中でも最初期の貴重な建物です。
建物の強度も問題ないとされながらも、中央区は同校を取り壊して新しい学校を作るとしました。これに対して、地元では『明石小の保存を望む会』が「全面的な改築ではなく、現状の建物に対して最低限の手を加える『リノベーション』」を求めて積極的に活動しましたが、中央区は方針を改めることもなく、結局2010年10月に建物は取り壊されました。
講演の中で多羅尾さんは「調べれば調べるほど、同校の建物の希少性が明らかになった。中央区の立て替え方針決定を何とか覆すべく、リノベーションのプランを作りロビー活動を行ったが、結局取り壊しは免れなかった。何を置いても時間が足りなかった」と語り、また中村さんは「自分の母校がそこまで貴重な建物であるとは思わなかった。地元の人たちもこの建物の価値がそこまで大きいものとは思っていなかったことが、保存を求める声が広がらなかった1つの原因だ」としました。
一度決定された行政の計画を覆すことがいかに難しいか、ということをこの事例は教えてくれています。幸いなことに、検見川送信所の場合は現市長が保存活用に肯定的という状況ではあるものの、一歩違えれば明石小学校と同じような運命をたどったことも否めず、この事例はさまざまな教訓を教えてくれていると思われます。
ケース2 旧逓信省下関電信局電話課庁舎(田中絹代ぶんか館)の事例-岡健司さん
次に、検見川送信所と同じ旧逓信建築物の保存活用がかなった事例として『旧逓信省下関電信局電話課庁舎』を取り上げました。同建物のリノベーションを担当された、(株)文化財保存計画協会の岡健司さんをゲストにお招きし、リノベーション・プランや実際の復元・改装工事の経過についてご紹介いただきました。
この建物は、昭和40年代に下関市に譲渡されて市関連の部局等が使用していました。その後、建物の老朽化により空き家となり、市は解体を計画していたものの、市民団体の熱心な活動によって、一部解体は免れなかったものの残る建物は市の文化財に指定されるとともに、保存活用がなされることになったものです。
保存整備計画が策定されてから『下関市立近代先人顕彰館(田中絹代ぶんか館)』として開館するまで、比較的短期間で推移していますが、その理由として岡さんは「もともと同地出身で往年の名女優であった田中絹代のあらゆる遺品を下関市が管理しており、田中絹代の顕彰を進める市民団体が恒久的な展示館の設置を望んでいた。それがこの建物の活用と結びついたわけで、初めから活用の方法が具体的だった」ことを挙げ、リノベーションのコストもさることながら建物の活用方法が具体化されているかどうかが肝要であることを示しました。
また内部は、下関市に譲渡されてから取り付けられた内装も活かされており、保存とは決して原状に復することが主体ではなく、途中の時代に作られたものであっても意匠が優れていれば積極的に織り込んでいく、という現実的な考え方についても説明がなされました。
最盛期の送信所模型を展示
会場内では「知る会」の仲佐代表が制作した、最盛期の送信所模型が展示されました。
幾本も立ち並ぶアンテナとアンテナ同士を結ぶケーブルがリアルに復元されており、参加者の目をひきました。
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