バーチャル展示館-フォト館

検見川送信所活用案パース(私案)を知る会メンバーの建築家が描く

フォト館

検見川送信所活用案パース(私案)<2011年11月>

「知る会」メンバーの建築家・菊地潤氏が描いた検見川送信所利活用の私案です。吹き抜けの機械室跡はその構造を活かしたミニシアターへの活用や、各部屋の間仕切りを竣工時に近い形に復原した上で、ギャラリーやフリースペースとして活用することを想定。また送信所の歴史を伝えることも考慮し、初代の所長室の再現なども盛り込まれています。

周囲が見違えるようになった送信所玄関
▲検見川送信所活用案パース(私案)
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復元調査のための周辺整備で送信所の全容が明らかに<2011年3月>

千葉市が発注した原状復帰のための建物調査において、受注した建設会社が送信所周辺の土砂をすべて取り除き、周辺は見違えるように整備されました。特に送信所背面は開発時に出た残土がうずたかく積まれ、1階が地下1階の様相でしたが、それら土砂がレベルまですべて取り除かれています。

周囲が見違えるようになった送信所玄関
▲周囲が見違えるようになった送信所玄関(撮影:諏訪間恵美)
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給水塔も周囲もきれいに整備されました
▲給水塔も周囲もきれいに整備されました(撮影:久住コウ)
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背面もレベルまで見えるようになりました
▲背面もレベルまで見えるようになりました(撮影:久住コウ)
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香蘭社の碍子が使用されているケーブルの留め具
▲香蘭社の碍子が使用されているケーブルの留め具(撮影:久住コウ)
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内部公開された検見川送信所<2009年10月30日>

2009年10月30日、千葉市長・熊谷俊人氏が歴代市長の中で初めて閉局後の検見川送信所を視察しました。その際に内部公開された様子です。

局舎の一番奥・吹き抜けに2階フロアを増床した部分
▲局舎の一番奥・吹き抜けに2階フロアを増床した部分(撮影:花園シン)
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一条の光が差す2階事務室
▲一条の光が差す2階事務室(撮影:花園シン)
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ほぼ原形を保つドア周りの建具
▲ほぼ原形を保つドア周りの建具(撮影:花園シン)
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漆喰の白さが残る天井
▲漆喰の白さが残る天井(撮影:花園シン)
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吹き抜けエントランスからの俯瞰
▲吹き抜けエントランスからの俯瞰(撮影:花園シン)
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検見川送信所で使われた碍子(がいし)

NTT建築OBの方から提供されました。製作したのは高級陶磁器メーカーの『香蘭社』。送信所のOBによると、この碍子は室内でコンデンサー等を支持するために使われたものと推測できるそうです。

検見川送信所で使われた碍子

絵画の中の検見川送信所

国鉄(現・JR)新検見川駅から見た検見川送信所。絵の下の方から続く小道を通って、職員のみなさんは通勤されていたそうです。蜘蛛の巣状に張り巡らされたアンテナと白亜の局舎を見ることができます。今はなき第2期工事で増設された建物もあります(写真をクリックすると、拡大版が表示されます)。

絵画の中の検見川送信所
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昭和5年の京成電鉄観光案内に見る検見川送信所

昭和5年というと、日本で初めての国際放送の電波がこの検見川送信所から発信された年。検見川駅前に描かれている送信所はそれよりも以前の姿と推察されますが、既にアンテナが張り巡らされ、検見川のランドマークになっていた様子がうかがえます(写真をクリックすると、拡大版が表示されます)。

昭和5年の京成電鉄観光案内
「京成電車沿線名所案内」(1930(昭和5)年京成電鉄発行)より
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検見川送信所写真集「検見川送信所2007-2008」

事務局の久住コウさんが、2007年7月からほぼ1年にわたって撮影した検見川送信所のさまざまなショットをチョイスして写真集を制作しました。題して「検見川送信所2007-2008」。副題の「四季の光の中で」のとおり、四季折々で多彩な表情を見せる検見川送信所のアングルを切り取っています。

この写真集は、Webでも公開しています。左のスティッカーをクリックしてご覧ください。

校歌にも歌われている検見川送信所

千葉県立千葉工業高校校歌歌碑

JR新検見川駅に近い千葉市立花園中学校の脇に、千葉県立千葉工業高校校歌の歌碑があります。

千葉工業高校校歌4番歌詞

千葉工業高校は昭和14年1月25日、千葉市寒川から花園町1108番地に移転。校歌は同年9月7日、作詞大木惇夫氏、作曲乗松昭博氏に制定されました。千葉工業高校は昭和14年1月25日、千葉市寒川から花園町1108番地に移転。校歌は同年9月7日、作詞大木惇夫氏、作曲乗松昭博氏により制定されました。

右の写真は校歌の4番の抜粋を拡大したものですが、工業高校だけに、「ダイナモ」「ハンマア」といった言葉が織り込まれています。そして、最後は「無線塔を高空に、仰ぐ希望の光、われら」と結ばれます。

千葉市2度目の大規模空襲「七夕空襲」(昭和20年7月7日)の際に、校舎の約4分の3が焼失したそうで、その後、千葉市稲毛町にあった日本バルブエ場付属青年学校を借用して授業を再開しました。

戦前の千葉工業高校
戦前の千葉工業高校 千葉工業高校ホームページより

昭和初期のハガキ・検見川送信所が風景印に

検見川送信所の風景印
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河童画人・牛玖ひろし氏のご子息からこんなハガキを寄贈していただきました。

昭和初期のハガキには「風景印」というものが押されていました。この図柄は検見川送信所と当時の京葉間の海水浴場がモチーフになっているようです。

検見川送信所CGのポストカード

菊地潤氏氏制作の検見川送信所CGを素材にポストカードを作成しました。さる2008年2月23日開催の『送信所ナイト』でカンパをいただいた参加者に配布しました。

検見川送信所CGのポストカード

竣工当時の検見川送信所をCGで再現

「分離派建築博物館」主宰・菊地潤氏がコンピュータ・グラフィック(CG)で竣工当時の検見川送信所を再現されました。このホームページのヘッダー画像にも使わせていただいてます。このCG制作についての詳細は「分離派建築博物館」をご覧ください。

検見川送信所竣工イメージCG-東南方向

検見川送信所竣工イメージCG-南西方向

検見川送信所竣工イメージCG-北西方向

検見川送信所竣工イメージCG-南西上空からの俯瞰

検見川送信所竣工イメージCG-南方向・正面

雪化粧の検見川送信所(2008年2月)

雪をかぶった検見川送信所の姿をとらえました。

雪化粧の検見川送信所

河童画人の画が日本酒のラベルに

河童画人・牛玖ひろし氏は、千葉県・成田の造り酒屋「鍋店(株)」(なべだな)の商品ラベルをデザインされています。それがご縁で、検見川送信所で河童がお月見している画などをラベルにしていただきました(このラベルの商品は非売品です)。

河童画人の画が日本酒のラベルに

検見川送信所で河童がお月見

2007年10月27日開催の第1回イベント『ほぼ満月 ただのお月見@検見川送信所』に向けて河童画人・牛玖ひろし氏にイメージ画を描いていただきました。満月の夜、検見川送信所をバックに饗宴を繰り広げている河童の姿が描かれています。

河童が検見川送信所でお月見1

河童が検見川送信所でお月見2

千葉県検見川町鳥瞰図に見る検見川送信所

松井天山という人物が鳥の視点から町を描いた昭和5年1月の古地図。ここにも検見川送信所がしっかりと描かれています。

松井天山画・検見川町鳥瞰図
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記念碑に掲げられていた銘板(2007年・夏)

記念碑に掲げられていた銘板

銘板自体が引きはがされ、地面に立てかけられてありました。そして数か月後、残念ながらこの銘板は行方不明になってしまいました。

ヒマワリの遠景に検見川送信所(2007年・夏)

ヒマワリの遠景に検見川送信所

検見川送信所エントランス(2007年・夏)

検見川送信所エントランス

 

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