Academy1

私の見た逓信省吉田鉄郎の検見川送信所
―菊地潤氏<2007年10月に収載>

Ⅰ.吉田鉄郎が活動を始めた当時の建築界

明治末から大正期にかけて、日本の建築デザイン界はそれまでの西洋の歴史様式一辺倒からわが国独自の方向性を探る機運が生じた。様式性を簡素化した建築が生まれ、さらに吉田の1年後輩に当たる帝大生らが立ち上げた大正9年の「分離派建築会」は、歴史様式マンネリズムからの決別と個々の新しい視点による創造性回復を求める運動となった。

実社会では、官僚主導で国家が必要とする建築物の設計を行う状況は相変わらずであった。吉田鉄郎も卒業後は逓信省に在籍し、様式建築からシンプルで抽象幾何学的造形を旨として合目的的な近代建築への移行時期に自らのデザインを模索することとなった。

Ⅱ.逓信省営繕課の概略※5

図1:多様な目地割りの京都中電話局外装
図1:多様な目地割りの京都中電話局外装

逓信省は、明治政府の「駅逓寮」に端を発し、業務分野を拡大して明治18年に逓信省と改称した。主に、郵便、電信・電話、官船、灯台とこれらに関連する業務に当たったが、常に発展する先端技術を扱う宿命から、無線送信所、電気試験所、放送局、飛行場に関連した施設などにも関与していた。当時既に建築を志す若い学生が魅せられるに十分な職場だったと伝えられる。

Ⅲ.語り継がれる吉田鉄郎の設計姿勢

吉田は日本の近代建築を開拓した模範的な設計者として伝説的に語られる。(特に逓信-郵政の弟子筋で記録されている)「デザインにはトラがある」、「平凡な建物をいっぱい建てよ」などの吉田の言葉が伝えられる※3,※4

  1. 自己を抑制した地味で謙虚な人柄が設計にも反映された。虚飾を廃した自然に生まれるかたちの清廉さを尊重した。
  2. 几帳面で細部に至るまで妥協を許さない執念を持って設計に当たった。(図1)(学生時代から知る逓信省の同僚、山田守とは性格的には対照的であったが互いに理解し合い尊重し合う仲であった。ちなみに山田は分離派立ち上げに加参するなど行動的で小さなことに拘らない豪放な人柄と伝えられる。)
  3. 北方ヨーロッパ系の建築を好んでいた。(エストベリ作の「ストックホルム市庁舎」に特別の愛着を抱いていた。)

Ⅳ.検見川無線送信所の建築としての特徴~私見

(RC造地上2階建て,工期:T13.4~15.3※1、RC建物工期はT13.5~14.5とする記録も有る※5

1.近代建築への過渡期の建築の特徴を示している。

a.旧来的な特徴:
・左右対称性、・中央のシンボリックな搭状部分とエントランス、・3本一組の縦長窓など様式的な逓信局舎の標準要素が見られる(図2-左)。
b.近代的な特徴:
・全く無装飾で平らな外壁、・開口部の形状と配し方に外観デザインの主眼を置いている、・ドイツ表現主義建築に端を発し分離派の同僚山田守がよく用いた外壁出隅を丸い曲面とする細部の処理や放物線状(パラボラアーチ)状の窓が用いられた。(図2-右)(先行して山田が岩槻受信所で表現主義風な設計を行っており、検見川送信所でも送受信施設の機能とデザインを一致させる吉田の配慮が働いたのだろうか?)
検見川送信所の窓パラボラ状の窓
図2:検見川送信所に見られる窓

こうした新旧デザインを取り入れうまく一個の建物として統合されており、これは近代建築の転換期の様相を明快に示す稀有な現存作品例ではないかと考えられる。

2.吉田による日本の近代建築の名作、東京・大阪両中央郵便局を予兆させる建築。

送信所と同様に平らで無装飾な外壁面にバランス良く窓を配置しデザインする方法は、以後の東京中央郵便局のデザインとも共通するのではないだろうか。

3.海外との通信を目的とした無線通信施設として希少かつ、最も古い現存例と推定される。

1920年から翌年にかけてワシントンとパリで行われた国際通信予備会議に基づき国際的電波割当獲得を目指した※6わが国の対外無線通信施設増強策がとられた時期を基準とすれば、岩槻受信所(1992年撤去)、依佐見送信所(2006年撤去)、検見川送信所などが皮切りに建設されており、この頃を通信所建設の開始時期とするならば検見川送信所のみが最後まで残った現存最古の無線通信所にあたる。少なくとも、戦前期を通して建てられた無線通信所として現存する希少な建物とみられる。(専門家の見解が待たれる。)

まとめ

逓信省により、いわば戦前当時のハイテク最先端技術の拠点としての役割を担うべく建設された検見川無線送信所は、デザイン面においても日本の近代建築黎明期にこれを先取りした先鋭的な建築であり、また、作者であり近代建築の数々の名建築を生み出した逓信省技師吉田鉄郎の初期の建築作品として数少ない現存事例である。

参照文献
※1.「吉田鉄郎建築作品集」(S42、同作品集刊行会、東海大学出版会)
※2.同上「年譜」矢作英雄
※3.同上「解説」薬師寺厚
※4.「建築家吉田鉄郎とその周辺」(S56、向井覚、相模書房)
※5.「逓信省の建築」(S8、張菅雄、常磐書房)
※6.「電信電話事業史」5 第9編 建築(S35、電電公社)
菊地 潤(きくち・じゅん)
建築士・ホームページ「分離派建築博物館」を主宰
inserted by FC2 system