2008年11月26日-送信所外部及び内部見学会 ┃検見川送信所を知る会

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2008年11月26日-送信所外部及び内部見学会
―安達文宏氏<2008年11月に収載>

安達文宏(あだち・ふみひろ)
建築家。安達文宏建築設計事務所主宰。
日本建築家協会関東甲信越支部会員。現在、同支部保存問題委員会委員。

11月26日(水)好天に恵まれた午後、千葉県建築家協会(JIA千葉)保存文化部会主催の見学会が開催されました。参加者は14名(1名は途中参加)で、その中には「検見川送信所を知る会」の2名(送信所OB岩佐氏と送信所図面提供の久住コウ氏)にも加わっていただきました。建物は、JR新検見川駅から海側に歩いて10分足らずの所にあります。1979年の閉局から今日まで30年近くが経ち、外壁(特にファサード)の剥落が目立つなど、建物全体の傷みが非常に懸念される状況になっていました。ここで是非とも内部に入り全体の状況を早急に確認する必要性を感じ、急きょ見学会を行ったものです。検見川稲毛土地区画整理事務所を通し鶴岡千葉市長の許可を得て、閉鎖後初めて一般への公開が実現しました。

始めに岩佐氏の説明を聞きながら外観を見ました。建物全体は御影石を使った人造石洗い出し仕上げで覆われています。目地は無く建物全体が一つの塊のように思われ、すごい存在感があります。建物の角は全てアールがつき、パラペットも断面はパラボラアーチ状に丸みが付いています。開口部はほとんど鉄板で覆われて窓の形状も分かりませんが、2階の鉄板で覆われていない一部の窓周りを見るとやはりアールで納められています。外部全体はそれほどでもありませんが、ファサード部分の人造石洗い出し仕上げの剥落がひどく、コンクリートの被り厚さの不足もあいまって鉄筋が錆びて爆裂を起こし、痛々しい表情を見せています。

内部に入ると外部以上にパラボラアーチやアールなど、当時の逓信省建築の特徴をとどめているのには非常に驚かされました。内部仕上は基本的に壁、天井共漆喰(場所によってはプラスターもあるか?)塗り仕上で、壁と天井、梁と天井のとりあいもすべてアールで、梁の下面は繰型等を施していました。内部は、外観からは想像も出来ないくらい状態が良く、壁天井の左官仕上に塗った塗装がはがれている程度です。柱、壁、梁、天井を見ても、地震等による構造クラックや左官仕上に伴うクラック等もほとんど目視で確認出来ませんでした。また、当初非常に心配だった雨漏り等の形跡も確認できず、屋上のアスファルト防水はいまだに健在のようです。

以下に、写真の一部(撮影:JIA会員・井上茂實氏)をご紹介します。外観は昨年の12月に、内部に関しては今回撮影された物です。

南側ファサード
▲南側ファサード(©井上茂實)

南側ファサードを見ています。

全体的に丸みを帯びていて、階段下の1階入り口はボールト天井になり、2階入り口天井は半円形のバルコニーになっています。外壁コーナーもアールを取り、階段・バルコニー手摺やパラペット上部はパラボラアーチ状の曲線を描いています。

外部仕上は、御影石入り人造石洗い出し仕上げで、目地がありません。一部外壁が剥落して、錆びた鉄筋が見えています。

1階階段室
▲1階階段室(©井上茂實)

1階入り口を入った所が階段室になっていて、階段が螺旋状にペントハウスまで続いています。正面上部に2階の入り口がありますが、鉄板で覆われて真っ暗です。当初は、パラボラアーチ形額入りの両開きドアになっていました。

階段の手摺は、人造石研ぎ出し(人研)仕上げで、一枚板を折り曲げたように、屋上まで続いています。手摺上部もパラボラアーチ状の曲線になっています。

1階正面のパラボラアーチ開口
▲1階正面のパラボラアーチ開口(©井上茂實)

1階入り口を入ると正面にパラボラアーチの開口があり、その先が廊下になっています。手前右側が階段の上り口に、左側が倉庫と職員便所になっていて、外部に3連のパラボラアーチ窓があります。正面のパラボラアーチ開口の巾は1,800mm、高さは2,730mmでした。平面図の柱スパンを見ますと、3,650、4,550、5,400等の数字があります。当時最先端のRC構造の設計でも尺が基準だったのでしょうか。

階段室2階の開口部
▲階段室2階の開口部(©井上茂實)

階段室の2階にある開口部です。開口部を通って左側が応接室、正面奥が客用便所となっていて、小便器の仕切り板が蛇紋岩で造られています。ドアには、ドアクローザーの働きをさせる為か、滑車がドア枠上部に斜めに付いています。

オモリの付いた紐を掛けていたと思われます。この写真の右側は、1階同様廊下に至る開口部で、パラボラアーチになっています。

2階・第1発振室の柱
▲2階・第1発振室の柱(©井上茂實)

2階奥にある第1発振室の柱で、柱と天井、梁と天井との納まりが分かります。機械を収めるだけの部屋ですが、意匠的に随分凝ったデザインを施しています。当時通信施設は時代の最先端で、国としても力を入れていた事もありますし、この建物を建てるのに当時12万円だったのに対し、この部屋に設置した英国製の発信機が29万円したそうですから、それなりの物を設置する気持ちが意匠にも働いたのでしょうか。左官の仕上げが美しく、傷みはどこにも見受けられません。

リズミカルに並ぶ梁
▲リズミカルに並ぶ梁(©井上茂實)

階段室2階のパラボラアーチ開口部を潜って廊下に行くと、几帳面(面仕上げの一種)を施した梁がリズミカルに並ぶのが目に入ります。この梁と天井との収まりも他室と同様アール処理されています。左手前が宿直室、奥が実験室、右手前が事務室、奥が真空管倉庫になっています。宿直室には押入れがあり、幅広の杉板を使い、目板張り壁と吹寄せ竿縁天井としています。一部天井板が外れ、そこから部屋と廊下の間仕切り壁下地の煉瓦積みが見えます。また、実験室の配電盤室側の破損した木床から、外壁側に煉瓦積み壁が見えます。もしかするとRCラーメン構造の壁は、外壁も間仕切り壁も下地は煉瓦積みなのかも知れません。

2階まで立ち上がっている縦長窓
▲2階まで立ち上がっている縦長窓(©井上茂實)

一番奥にある機械室の窓で北側に面し、左右対称に一対をなしています。機械室は1、2階吹抜けとなっていました。発電機が並びすごい音を響かせていたそうです。現在では2階部分に木床が張られています。そのため、これらの窓は元々1、2階繋がった縦長窓でしたが、2階床で上下に二分されています。これは2階部分です。この建物の開口部は外内部とも枠・建具全て木製ですが、この窓も水切り回り以外はそれほど傷んでいないように見受けられます。建物の周りには2階の床高ほどの残土が積まれてすり鉢状になっており、雨が降ると部屋の中に土砂が流れ込むような状態です。千葉市による早急な対応が待たれます。

<注記1>
旧検見川無線送信所は、旧逓信省技師吉田鉄郎の設計で、関東大震災(1923年)後の1926(大正15)年4月に開局しました。白亜の局舎は、RC造2階建で延べ面積1,440㎡でした。1930(昭和5)年にはロンドン軍縮条約締結を記念して、浜口雄幸首相が日本初の国際放送を行った歴史的な施設でもあります。1979(昭和54)年2月閉局、その後所有がNTTから千葉市に移り、中学校用地として土地区画整理事業の中に組み込まれて解体を前提に放置され、荒廃した状態になっています。今年で完成から82年が経ちました。
昨年から検見川送信所を知る会の活動が始まり、それを応援する形でJIA保存問題委員会が動き始めました。今年の6月にDOCOMOMO Japan 2007年度選定建物に選定されたのを機に、JIA関東甲信越支部、同保存問題委員会、同千葉県建築家協会の連名で、千葉市指定文化財指定に関する要望書を千葉市長、千葉市教育委員会委員長・教育長へ、同陳情書を千葉市議会議長へ提出しており、現在千葉市議会で継続審査となっています。
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